Ars cum natura ad salutem conspirat

「自画像」としての日本・戦後復興期


 敗戦から東京オリンピック、1945年から1964年という時代は、激動の昭和の後期、誰もが焦土からの再出発を余儀なくされた時代、そして高度経済成長とともに、奇跡的ともいうべき復興を果たした時代でした。


それはまさに、わたくしたちのこの国の原質が、手探りのなかで改めて塑像されていった、「自画像」と呼ぶにふさわしい時代だったともいえるでしょう。そこに焦点を当てた写真展が、現在、世田谷美術館で開催されています。

展示されているのは、モノクロームの写真ばかり全168点。孤児となった子供たちから復員兵まで、被爆後の廃墟から米軍基地まで、そして花街を行き交う男女から企業戦士まで、実にさまざまな人々の生き様が、復興期という混沌のなか、「今この時の現実」として写し撮られています。



 ここではすべての写真が均質なプリントに焼かれ、同一のフレームに収まり、全11名の撮影者も順不同にして渾然一体となっているため、写し撮られた被写体だけが、それ以外のいっさいの情報を後景化して、空間のなかに浮かび上がっているように感じられます。何とも不思議な写真展というべきでしょうか。


しかも、その撮影者すべてが、実は単なる撮影者というにははばかられる、日本写真界の重鎮たちであることを知れば、より一層のこと、ある種の驚きすら覚える画期的展覧会といえるかもしれません。



 木村伊兵衛、土門拳、濱谷浩ら、すでに鬼籍に入られた写真家から、石元泰博、川田喜久治、東松照明ら、現在も活動中の巨匠たちまで、居並ぶその名は畏れ多いほどのビッグネームばかり。


その彼らが個々それぞれに佇んだであろう特定の時代の特定の場、そして、「記録」としての写真の匿名性と、「表現」としての写真の意志とのはざまでシャッターを押したであろう特定の瞬間が、逆にここではヒリヒリと感じられるようにも思えます。



 東京オリンピックを知る人も、その後に生まれた人も、写真そのものに興味がある人も、あるいは敗戦後のこの時代の様相に関心がある人も、この飾り気のない「日本の自画像」展に、ともあれ、是非とも足を運んでいただければと思います。


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