Ars cum natura ad salutem conspirat

小説のなかの画家たち—「無頭の鷹」のDJ


小説には魅力的な画家の登場する作品がたくさんあります。トルーマン・カポーティ(1924—1984)の短編小説「無頭の鷹」(The Headless Hawk)はそのひとつとして忘れることができません。1985年の夏、美術大学の学生だったときに、たまたま手にした雑誌にその翻訳は掲載されていました。訳者の村上春樹さんはこの小説との出会いについてこんなふうに記しています。


「個人的なことを言うと、僕が初めて英語で読んだカポーティの短編小説はこの『無頭の鷹』である。高校時代に英語の副読本に収められていたこの小説の抜粋を読み、その文章の比類のない美しさに打たれて、すぐにペーペーバックを買ってきて全文を読んだ。それからしばらくのあいだ熱病にかかったみたいにみたいにカポーティの文章を英語で読み漁ったことを記憶している。」

ニューオリンズに生まれたカポーティは、17歳で『ニューヨーカー』のスタッフとして働き、19歳のときに発表した短編小説「ミリアム」でO・ヘンリー賞を受賞、早熟の天才として注目されました。映画にもなった『アラバマ物語』(暮しの手帖社刊)を書いたハーパー・リーとは幼なじみで、登場人物のディルは彼がモデルと言われています。この「無頭の鷹」は同賞を受賞した22歳のときの作品です。


それでは、物語を少しご紹介しましょう。


冬のある日、ガーランド画廊につとめているヴィンセントは、午前中からひとりの客もみえないため、客が入って来たことにも気づかずに古い『ニューヨーカー』のサーバーの短編小説を読みふけっています。そこにサンダル履きでくたびれたぬいぐるみ人形のような娘が訪れました。手には新聞で包まれた絵を抱えて、絵を買って欲しいと訊きます。


「これを聞いて、ヴィンセントの笑みはこわばった。『ここは展示するだけなのです。』『私が描いたの。』と娘は言った。かすれ声で、言葉の切れ目が不明瞭だった。南部訛りだ。『私の絵—私が描いたのよ。このへんにくれば絵を買ってくれるところがあるって、女の人が教えてくれたの。』」


ヴィンセントはオーナーのガーランドが旅行中で、購入の決定権が自分に無い事を伝えます。それでも、とりあえず娘の持参した絵を見ることにしました。稚拙ながらも、原色を荒々しいタッチで塗りたくった作品には、ヴィンセントの心を揺さぶる何かがありました。その作品は次のように描写されます。


「修道僧のような着衣に身を包んだ、頭の無い人物がみすぼらしい大型の衣裳とランクの上に偉そうによりかかっていた。その女は片手に煙を立てる青い蝋燭を持ち、もう片手に金色の小さな檻をさげていた。彼女の切断された首は足もとに置かれ、血を流していた。この娘自身の首だったが、髪は長い。非常に長い。水晶を思わせるきかん気な目をした雪玉のように真っ白な子猫が、床に広がった髪の先を、毛糸玉か何かのように、前足でいじって遊んでいた。緋色の胸と銅色の爪を持った無頭の鷹が翼を広げ、夕暮れの空のように背後を覆っていた。」


50ドルを要求する娘に対して、高すぎると感じたヴィンセントは30ドルで個人的に買い取ることにし、絵は彼の部屋の暖炉の上にかけられました。そして、眠れぬ夜にヴィンセントはウィスキーを手にし、《無頭の鷹》に語りかけるのでした……。


ここまでは物語のほんの入り口、ヴィンセントと少女DJが出会う場面です。その先の展開は、それぞれのお楽しみといたしましょう。


紹介したテキストは村上春樹訳『誕生日の子どもたち』(文春文庫)ですが、川本三郎訳『夜の樹』(新潮文庫)もあります。川本版には、代表作「ミリアム」や「夜の樹」の他、村上さんの処女作『風の歌を聴け』の題名のもとになった「何も考えまい。ただ風のことだけを考えていよう。」という言葉で終る「最後の扉を閉めて」も収録されています。


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