世田谷美術館は1986年3月に『芸術と素朴』展をもって開館しました。以来10年にわたって「芸術における素朴性」をテーマに活動を行ってきました。本展は、この10年の世田谷美術館のコレクションの歩みを振り返り、世田谷美術館の追求してきた「素朴」とは何かを再び問い直そうとするものです。
19世紀末のピカソ、アポリネールによるルソーの「発見」以来、ほぼ100年。ヨーロッパ、及び欧米では近代化する社会が内包する様々な問題と共に、常に「本当の人間らしさとは何か」が問われてきました。この100年の芸術の動向は、芸術に現れる「素朴」の問題と深く関わってきたのです。1920年代にヨーロッパに始まった、いわゆる素朴の発掘、そして表現主義、シュルレアリスムの芸術家たち、デュビュッフェらによる精神障害者や子供の創造物への深い関心、またアメリカにおける根強いフォークアートの伝統、セルフトート(独学の作家)への支持。また、現代では、いわゆる「アートの周辺」に位置するものへの注目など、「素朴なるもの」への問題は、常に時代と共にあったといえます。
一方、わが国においては、素朴派の関心は、どのような形で現れてきたのでしょうか。日本的な素朴とは何なのか。この問いかけは、近代以降の日本の美術状況を考え直す契機ともなりましょう。
本展は、人間性につらなる素朴の諸相を世田谷美術館のコレクション約300点によって提示し、芸術と人間との根源的な関わりを問題提起しようとするものです。
19世紀末のピカソ、アポリネールによるルソーの「発見」以来、ほぼ100年。ヨーロッパ、及び欧米では近代化する社会が内包する様々な問題と共に、常に「本当の人間らしさとは何か」が問われてきました。この100年の芸術の動向は、芸術に現れる「素朴」の問題と深く関わってきたのです。1920年代にヨーロッパに始まった、いわゆる素朴の発掘、そして表現主義、シュルレアリスムの芸術家たち、デュビュッフェらによる精神障害者や子供の創造物への深い関心、またアメリカにおける根強いフォークアートの伝統、セルフトート(独学の作家)への支持。また、現代では、いわゆる「アートの周辺」に位置するものへの注目など、「素朴なるもの」への問題は、常に時代と共にあったといえます。
一方、わが国においては、素朴派の関心は、どのような形で現れてきたのでしょうか。日本的な素朴とは何なのか。この問いかけは、近代以降の日本の美術状況を考え直す契機ともなりましょう。
本展は、人間性につらなる素朴の諸相を世田谷美術館のコレクション約300点によって提示し、芸術と人間との根源的な関わりを問題提起しようとするものです。