Ars cum natura ad salutem conspirat

アーカイブ:2014年03月


セタビ Podcasting Vol.37


「岸田吟香・劉生・麗子」展 関連企画

対談「吟香とは、いったい何者だったのか」

2014年3月8日(土)に当館講堂にて実施されました。その一部をお届けいたします。


話者:鍵岡正謹 (岡山県立美術館館長)・酒井忠康(当館館長)



「岸田吟香・劉生・麗子 知られざる精神の系譜」展

2014年2月8日~4月6日 1階展示室



PLAY(赤い三角印)をクリックして再生してください。


ご利用方法について(※PCでお楽しみください)


モネ作《ラ・ジャポネーズ》の再現打掛を、お花見の季節にお披露目!


6月28日(土)から9月15日(月・祝)まで開催する「ボストン美術館―華麗なるジャポニスム展」の記者発表会が3月20日に日本外国特派員協会(通称プレスクラブ)で行われました。

本展覧会の注目作品は、やはりクロード・モネの初期の代表作《ラ・ジャポネーズ(着物をまとうカミーユ・モネ)》1876年です。額装すると約3メートル近くになる巨大な本作品は、約一年間をかけて本格的に修復が行なわれ、この度の展覧会で世界に先がけ、世田谷美術館を皮切りに、京都市美術館、名古屋ボストン美術館で展示されることになります。


 記者発表会では、《ラ・ジャポネーズ》の修復報告の映像が流れ、今回の修復のポイントや、修復によって解明されたモネの試行錯誤の様子などが紹介されました。そして、何といっても本記者発表で皆さんの目をくぎ付けにしたのが、展覧会のキャンペーンのために、主催者側が作品のイメージを参考に制作した《ラ・ジャポネーズ》のモデル(モネの夫人)が着用している打掛を再現した衣裳でした。金糸などの豪華な刺繍で埋め尽くされた華やかな打掛を、今回の展覧会の関連企画で関わっていただく昭和女子大学の学生さんが、モデルとなって絵の女性と同じポーズをとり、お披露目してくださいました。モネの絵に描かれた厚みのある刺繍も見事に再現され、まるでモネの絵から飛び出したようでした。モネもきっとこのような異国趣味溢れる立体的で絢爛豪華な打掛を目前にして、いかにこれを平面の絵の中で表現するか、興奮と苦心を重ねたのではないでしょうか?

ぜひ、6月28日からの展覧会でモネの絵の迫力を間近に味わっていただければ幸いです。


この打掛は、8月中の毎週金曜日に開催される関連企画<100円ワークショップ>「ラ・ジャポネーズでハイ!ポーズ」で、実際に羽織っていただき記念写真を撮ることができます。


そして、いち早くこの再現打掛をご覧になりたい方は、砧公園の桜の開花にあわせて、3月28日(金)~4月6日(日)まで、当館のエントランスホールにて、お披露目展示を行いますので、ぜひお出かけください。《ラ・ジャポネーズ》の修復報告の映像もご覧いただけます。


岸田親子三代展、4月6日の閉幕まで、あとわずか2週間!


昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、なるほどしかり、にわかに春の気配がたちこめてまいりました。砧公園の木々もいっせいに芽を吹き、あとは桜の開花を待つばかりとなりました。その砧公園にある世田谷美術館では、現在、「岸田吟香・劉生・麗子展」を開催しています。最終日は4月6日ゆえ、とてつもない苦労を重ねて作り上げたこの企画展が、残すところわずか2週間で閉幕となってしまいます。


舞踊家・石井漠が躍る、約90年前の貴重映像を公開!


 同じような恰好をした三人の女性が地に伏せたかと思えばぴょんぴょん跳ねたり、黒い(?)衣装をまとった男性が両腕をさまざまに動かしたり…。現在、3月21日(金)まで世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館で開催中の「宮本三郎と奥沢の芸術家たち」では、一風変わった映像を展示しています。現在であれば、それをパフォーマンスと呼ぶ人もいるかもしれません。しかし、それは今からおよそ90年も前の舞踊公演なのです! 男性は、世田谷区奥沢の隣町・目黒区自由が丘に住んだ舞踊家の石井漠(1886-1962)。三人組の女性は、その弟子であり戦前国内で活躍した舞踊家・崔承喜を含む、石井漠舞踊団です。


 1928年に「自由が丘石井漠舞踊研究所」を開設した石井漠は、自由が丘が文化的発展を遂げる上での立役者という側面から本展でご紹介している人物であり、大野一雄や石井みどりらを弟子に持つ、日本における現代舞踊の先駆者として非常に重要な位置を占めている舞踊家です。今回、静岡県の島田市立島田図書館からお借りして展示しているのは、9.5mm幅のフィルムを用いる家庭用映写機「パテベビー」撮影会のために行われた舞踊公演の模様で、1926年10月3日、三越百貨店(東京)屋上に舞台を設け、石井漠舞踊団が「グロテスク」、石井漠がソロ「マスク」を踊っています。撮影者の清水真一(島田市名誉市民)は昭和初期の日本を映像で多く残した人物で、それらが現在「清水文庫」として同館に所蔵、本作はその中に収められていたものです。「グロテスク」と「マスク」における人物の動きは、日本舞踊とも西洋のバレエとも異なって、石井漠が大正時代も末の日本で、新しい舞踊を創造しようとしていたことを考えさせます。


 世田谷区に隣接する目黒区は、石井漠と同世代の舞踊家・江口隆哉、宮操子夫妻が住み、暗黒舞踏家の元藤燁子が前衛舞踏の活動拠点となるアスベスト館を1952年に設立、のちにその夫となる暗黒舞踏家の土方巽も居住した街として、近代以降の日本舞踊史を考えるにあたっても重要な土地です。本展から、画家、彫刻家、小説家に加え、舞踊家も世田谷区奥沢からほど近い場所に住み、精力的な活動をしていたことにも、ぜひ思いを馳せていただきたいと思います。


芸術家たちの交流


 現在、宮本三郎記念美術館で開催中の「宮本三郎と奥沢の芸術家たち」(2014年3月21日まで)。「奥沢」と聞いても、お近くにお住まいでないとなんのことだかわからない方も多いことでしょう。「奥沢」とは、世田谷区の町名の一つである世田谷区奥沢のこと。目黒区自由が丘、大田区田園調布と隣接する地域であり、宮本三郎が1935年から亡くなる1974年までアトリエ兼住居を構えた土地です。本展は、この界隈に多くの芸術家が居住していたことに注目し、画家だけではなく、以下総勢16名の芸術家を、世田谷美術館収蔵の作品や資料によってご紹介する展覧会です。


舞踊家:石井漠

小説家:石川達三、石坂洋次郎

洋画家:猪熊弦一郎、岡本太郎、末松正樹、利根山光人、宮本三郎、村井正誠、吉仲太造

日本画家:上野泰郎

水彩画家:富田通雄

彫刻家:澤田政廣、建畠覚造

美術家:榎倉康二、河原温


Copyright Setagaya Art Museum. All Rights Reserved.