Ars cum natura ad salutem conspirat

春の小川は・・・ ルソーの《ビエーヴル谷の春》によせて


少々縁あって、ルソーの《ビエーヴル谷の春》(メトロポリタン美術館蔵)という作品が気になっています。木々の芽吹きの頃ののどかな風景ですが、「谷」というには、流れが妙に平面的で、その地面は緑と白のストライプにしか見えないという不思議な作品です。


そもそもビエーヴル谷というのはどこにあるのでしょうか。実はビエーヴル川という流れは、その昔パリの南部を南から北へ流れ、セーヌ川に注いでいた小川だったのでした。19世紀の都市大改造の中で暗渠(あんきょ)となり、いまではほとんどその存在は忘れられていますが、現在のケレルマン公園のあたりから当時あったパリの城壁をくぐって市内に入り、ムフタール通りに添って北上、植物園の南でセーヌに注いでいたといいます。

その昔は、土手には風車が立ち並んでいたのですが、市内の工場地帯やゴブラン織の染色工場の排水で汚染が進み、20世紀のはじめには完全にフタをされてしまったのです。ルソーがこの作品を描いたのは1909年とされていますから、パリの市内ではなく、城壁の外、川の流れが眺められる付近の風景ということになります。この作品の裏面に「ビセートル付近」と書かれたルソーの署名のあるメモが貼り付けられていたことからも、ルソーがこの景色を取材した場所が城壁のすぐ外側であったことがわかります。


ビエーヴルを調べていくうちに、まだパリ市内に流れが見られたころの春の情景の描写がある読み物を見つけました。よく知られたマロの小説『家なき子』の一節です。主人公レミがパリで親切な花売りの一家に家族として受け入れられ、わずかな期間ながら幸福なひと時をすごす時期。ビエーヴルの川辺の情景を、「春には草がみずみずしくみっしりと生え、そのエメラルド色のカーペットに、デイジーが白い星をちりばめる。そして新緑のヤナギや、ねばねばした樹脂にくるまれた新芽をつけたポプラのしげみでは、ツグミ、ヨシキリ、アトリなど鳥たちが飛びかいながら、その歌声で、ここはまだ田舎です、町ではありません、とつげている。」と描き出しています(註)。


そして、もし「ぼくが絵かきなら、描いてお見せするのだが」とも。場所は、グラシエールという現在では地下鉄6番線の駅にその名をのこす付近です。時代は、ルソー作品より少々さかのぼりますが、まさに《ビエーヴル谷の春》そのままの光景ではないでしょうか。

 ところで、近年、パリでは、暗渠となっているビエーヴル川の再生計画が進行中だそうです。そしてこの計画は、同じ運命をたどっている東京の渋谷川や目黒川の再生案とも重なり、都市と河川という視点での交流があるとか。「春の小川」のモデルは、代々木に流れていた河骨川といいますが、そこに歌われたかつての田園の光景がルソーや『家なき子』と繋がるというのも不思議な縁と思います。


註:エクトール・マロ『家なき子』(中)偕成社文庫 1997年 107頁


図版:アンリ・ルソー《ビエーヴル谷の春》 1909年 メトロポリタン美術館蔵


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