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小説のなかの画家たち—「知られざる傑作」のフレーンホーフェル


18世紀のフランスの小説家、オノレ・ド・バルザック(1799-1850)の短編小説『知られざる傑作』(水野亮訳、岩波文庫)。美術ファンならご存知の方も多いはずです。1991年に公開された『美しき諍(いさか)い女』(監督:ジャック・リヴェット)はその小説を映画化したもので、カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞、また日本公開時に主演のエマニュエル・ベアールの大胆なヌードが話題にもなりました。

かつて日本画家の髙山辰雄さんからご自身の思い出の一冊についてお話をうかがったときに、この『知られざる傑作』とサマーセット・モームの『月と六ペンス』の書名を真先にあげられました。モームの方は画家のゴーギャンがモデルで、髙山さんがゴーギャンから強い影響を受けたのは良く知られていますから、なるほど納得です。


さて、この『知られざる傑作』は、老画家のフレーンホーフェルが10年に渡って描き続けた作品《美しき諍い女》をめぐる物語で、ニコラ・プーサン(1594-1665)やフランス・ポリュビス(1577-1622)といった実在の画家も登場します。途中でたびたびフレーンホーフェルから語り聞かされるその傑作ぶりが想像力を掻き立ててくれるのですが、作品を目にした青年画家プーサンは「僕の目に見えるものといったら、ごちゃごちゃに寄せ集めて、無数のへんてこな線で抑えてある色だけだ、絵具の壁になっている物だけだ。」と感嘆の声をあげました。ところが、プーサンとボリュビスが目にしたその作品は、よく目を凝らすと次のような絵画だったのです。


「近々とそばへよった二人が認めたものは、カンヴァスの隅に端を見せている一本のムキだしの足であった。それは、形のない霧のような、混沌とした色と調子とおぼろなニュアンスのなかから、それだけ浮き出していたが、かぐわしい足、生きている足であった。信じられないような、漸次に手をくだされた破壊からまぬかれたその断片をまえにして、二人は驚嘆のあまり化石したようになってしまった。その足は、鳥有(うゆう=全くないこと)に帰した都市の廃墟のあいだから出現した、パロス島産の大理石で刻んだヴィナスのトルソのように、そこに現われていた。」


《美しき諍い女》なる作品が以前から気になっていたところ、最近たまたま手にした高階秀爾さんの本(『想像力と幻想 西欧十九世紀の文学・芸術』1986年、青土社)に、この小説について論じた一章「『知られざる傑作』をめぐって」が収録されていました。バルザックの場合、たいてい主人公の名が小説の題名には用いられているのに対して作品名が用いられている点に着目し、その作品の霊感源こそバルザックと親しかったドラクロワの《女と鸚鵡(オウム)》(1827年、リヨン美術館蔵)だったのではないかと高階さんは推論していくのです。はたして《美しき諍い女》は本当に「知られざる傑作」だったのか、それとも愚作にほかならない「絵具の壁」だったのか。ご興味のある方にはこちらもおすすめです。高階さんはその評論を次ぎのように締めくくっています。


「後にポール・シニャックが、『ウジェーヌ・ドラクロワから新印象主義まで』のなかではっきり論証したように、ドラクロワのその美学こそ、印象派から後期印象派にかけて近代絵画の出発点となったものである。バルザック自身が、その歴史的意義をどの程度まで自覚していたかは不明であるが、彼は、1830年代において「革新的」な画家であったドラクロワの美学を借りて来ることによって、歴史を先取りすることが出来たと言ってもよい。ドラクロワの提起した問題を徹底して追求して行った地点で、フレーンホーフェルはセザンヌに出会うのである。」


セザンヌが「読むたびに、感動のあまり涙した」という本書は、戦後の何人かの批評家かが「フレーンホフェルこそ現代の抽象絵画の先駆者」と指摘しているそうです。芸術の持つ普遍的な魔力に取り憑かれたフレーンホーフェルという人物に託し、デモーニッシュ(悪魔的)なまでの芸術衝動を描いた傑作として、いまもなお読み継がれる一冊です。


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