Ars cum natura ad salutem conspirat

フェリックス・ティオリエって、誰でしょう?


彼は19世紀中葉、フランスのサン=テティエンヌで活動した知られざる郷土史家・写真家です。日本ではもちろんのこと、欧米においてもその名を知る人は、ごくわずかといっていいでしょう。そのティオリエによる写真展が、このほど世田谷美術館で開幕しました。

F・ティオリエ(1842-1914)は、サン=テティエンヌに生まれ、芸術好きであった父親が要職を退いてパリへ移るとともに、そこで多感な幼少期を過ごし、産業革命後の19世紀なかばにあって、時代精神を背景とした新たな芸術思潮(美術、音楽、哲学)に接しながら成長しました。


  15歳のときに故郷サン=テティエンヌに戻り、その10年後にはみずからリボン製造会社を設立して財を成しますが、1879年、若干37歳にして実業の世界から身を引いてしまいます。以後35年ほどの後半生を、画家との交流や考古学の研究、専門書の出版や写真の撮影に費やしました。いわば、一風変わった好事家だったということになるでしょう。


  写真技術が発明されていまだ間もない時期であった当時、一枚の写真を撮影・現像するためには、特殊な技術や多大な労力、さまざまな大型機材や資金を要したはずですが、ティオリエが残した写真は、何千枚という膨大な数にのぼるようです。大半はガラス乾板を用いたゼラチン・シルバー・プリントとなりますが、わずかながら、オートクロームという技法による美しいカラー写真も残されています。


  ティオリエは、その写真を書籍の挿図として使うことはありましたが、作品として展示したり、売却したりすることはありませんでした。時代の空気のなかでピクトリアリズム的な傾向を見せつつ、美しい自然や風景を捉え、親交のあったバルビゾンの画家たちからの影響も手伝って、しだいにその写真は芸術性を高めてゆくことになります。しかし彼は、その人生を芸術家として生きたというよりは、さまざまな活動の一環のなかで、あくまでもアマチュアとしてひたすら写真を撮りつづけた人物だったというべきかもしれません。


  そのためもあってか、彼が残した写真は世に知られることなく、100年ほどのあいだ屋敷の奥底で眠りつづけることになりました。実は1980年代になって、ご遺族がそれらを発見したことにより、初めて注目を集めるようになったのです。その後、欧米各地の美術館で展覧会が開かれたり、作品が購入されるようにもなりました。近い将来、オルセー美術館においても回顧展が開催される予定とのことです。


  本展をひとつの先駆けとしつつ、この知られざる写真家は、いよいよ注目を集めてゆくことになるでしょう。初夏の日差しを浴びる緑のなか、世田谷美術館とこのティオリエのヴィンテージ写真は、何故か不思議な調和を見せています。この機会にぜひ、ご観覧ください。


図版上:《ヴェリエールのタチアオイに囲まれたティオリエの娘 》

      オートクローム、1880~1910年頃

図版下:《フェリックス・ティオリエ》

      ゼラチン・シルバー・プリント、1880~1910年頃 


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